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横浜地方裁判所 昭和59年(ワ)1669号 判決 1990年11月08日

原告

鈴木方十

右訴訟代理人弁護士

海渡雄一

千葉景子

福田護

岡部玲子

被告

社会福祉法人相模福祉会

右代表者代表理事

座間富蔵

被告

大島麟

右両名訴訟代理人弁護士

岡昭吉

主文

一  原告の各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告社会福祉法人相模福祉会に対し、労働契約上の地位を有することを確認する。

2  被告社会福祉法人相模福祉会(以下「被告法人」という。)は、原告に対し、四四三万五七〇二円及びこれに対する昭和五九年八月二一日から支払い済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

3  被告法人は、原告に対し、昭和五九年七月一日以降、毎月一六日限り、一か月につき二八万五六六四円を支払え。

4  被告らは、連帯して、原告に対し、七七〇万円及びこれに対する昭和五九年八月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は被告らの負担とする。

6  第2項ないし第5項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

(一) 被告法人は、昭和五〇年四月八日設立の認可を受け、同年七月一日登記をして設立された、第一種社会福祉事業―助葬事業、第二種社会福祉事業―相模福祉センターの設置経営を行うことを目的とする社会福祉法人である。

(二) 被告大島は、昭和五五年八月一日被告法人の理事に就任し、さらに同月一六日事務局長に就任し、昭和五七、八年当時もその職にあった者である。

(三) 原告は、被告法人の設立時に被告法人に雇用され、昭和五一年一月一日に経理係長になり、昭和五二年五月一日以降経理課長の職にあった者である。

2  解雇の意思表示

被告法人は、昭和五八年一二月二九日原告に対し、無断欠勤等を理由として原告を懲戒解雇する旨の意思表示をした。

3  被告らの不法行為

(一) 原告は、経理課長として勤務する一方、被告法人の従業員で構成する労働組合日本社会福祉労組相模福祉分会(以下「組合」という。)結成とその後の組合活動に指導的役割を果たすとともに、被告法人の営利追求の姿勢に反対してきた。一方、被告大島は、事務局長に就任後間もなく組合を労使協調型の労働組合に変質させようとして、当初は原告を懐柔しようと試みたが、これが果たせないとみると、原告を敵視するようになった。

(二) そして、被告大島は、昭和五七年一月頃、常勤理事の報酬を高額にしても、国や地方公共団体から規制を受けないようにするため、従来の被告法人の会計処理を、本部、助葬事業、相模福祉センターの三部門に分離することを計画したのを機に、これに反対する原告から経理関係の仕事を取り上げようとして、直接原告の部下の経理課員に対して原告への不服従と三部門に分離した会計処理を命じ、さらに、同年五月には、外部の税理士に決算事務の処理を委嘱したうえ、原告を決算書作成のための会議等にも参加させないようにして原告の仕事を奪った。

このため、原告は、以後同年一〇月頃まで、当時の被告法人の総務部長村松重明(以下「村松総務部長」という。)の命により、関係行政機関等との連絡調整事務を行なっていたが、被告大島は、同月頃、原告に対し、「今後は、県、市等との連絡調整事務もやる必要はない。」と命令して原告の仕事を取り上げた。

原告は、以後、完全な無担務状態となったので、再三村松総務部長に対し、業務命令を出すよう申し入れたが、被告大島の前記指示があるため、何等の措置もとられず、昭和五八年六月二二日までと同年八月二二日から同年九月一二日までの間、毎日何の仕事も与えられず、机に座っているだけという状態になった。

(三) さらに、被告大島は、原告に対し、被告法人の職場内における共同絶交を行なうことを計画し、昭和五七年秋頃から、職員をして、原告とは口をきかない、毎日の昼食も原告だけを除外して他の職員が一緒にとる、原告にはお茶も三時の茶菓子も出さない、年末、年始等の懇親会、慰労会にも原告は誘わないといった職場における村八分の扱いをさせた。

(四) 被告大島の仕事の取り上げ、村八分等の行為は、原告に対する精神的拷問に等しく、著しく常軌を逸脱したものであって、原告の人格権を侵害する違法なものであるから、被告大島は、民法七〇九条により、右違法な行為によって被った原告の損害を賠償すべき義務がある。また、被告大島の右行為は被告法人の事業の執行につきなされたものであるから、被告法人は、民法七一五条一項により、右損害を賠償すべき義務がある。

(五) 原告は、被告大島の右行為により筆舌に尽くし難い精神的苦痛を受けた。その精神的苦痛を慰謝するには七〇〇万円の支払いをもってするのが相当である。

また、原告は被告らが右慰謝料を任意に支払わないため、やむなく原告訴訟代理人に委任して本訴を提起した。原告が同訴訟代理人に支払う弁護士費用のうち、被告らの不法行為と相当因果関係のある分は七〇万円である。

4  賃金等請求

(一) 原告の昭和五八年八月当時の賃金は月額二八万五六六四円で、その支払い時期は毎月一六日である。

(二) 被告法人が原告に対して支払うべき年間(一二月、三月、六月)の賞与額は、賃金の四・九月分で、合計一三九万九七五三円である。

(三) 被告法人は、原告に対し、昭和五八年八月以降は、同月分の賃金として一〇万六三五五円を支払ったのみで、その余の支払をしない。

(四) 原告は、昭和五八年六月二三日以降、同年八月二二日から同年九月一二日までの間を除き、就労していないが、これは前記のような被告大島の不法行為により原告が就労することができないような職場の状況が生まれたことと、被告法人が解雇事由がないのに解雇したとして取り扱っていることによるものであるから、その不就労については被告法人に帰責事由がある。したがって、原告は、被告法人に対して賃金及び賞与の請求ができるところ、昭和五九年六月末日までに弁済期の到来している賃金及び賞与のうちの未払額の合計は、四四三万五七〇二円である。

5  よって、原告は、被告法人に対し、解雇事由の不存在を理由に労働契約上の地位存在の確認を求めるとともに、昭和五九年六月末日までの未払賃金等四四三万五七〇二円及びこれに対する弁済期ののちであり、訴状送達の日の翌日である昭和五九年八月二一日から支払い済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金並びに昭和五九年七月一日以降毎月一六日限り一か月につき二八万五六六四円の割合による賃金の支払いを求め、被告らに対し、不法行為による損害賠償として連帯して七七〇万円及びこれに対する不法行為ののちであり、訴状送達の日の翌日である昭和五九年八月二一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(二) 請求の原因に対する認否

1  請求原因1(当時者)及び2(解雇の意思表示)の事実はすべて認める。

2  請求原因3(被告らの不法行為)の(一)の事実のうち、原告が組合結成に関与したことは認め、その余は否認する。

3  請求の原因3の(二)の事実のうち、被告法人が昭和五七年一月頃従来の被告法人の会計処理を、本部、助葬事業、相模福祉センターの三部門に分離することを計画したこと及び同年五月に外部の税理士に決算事務の処理を委託したことは認め、その余は否認する。

被告法人における会計処理の部門毎の分離は、社会福祉法人経理規程準則により、もっと前から行なうべきものであったが、経理課長である原告の職務怠慢と無理解により延び延びになっていたところ、県の指導もあってようやく実施することとしたものである。被告法人が税理士に決算事務の処理を委嘱したのは、昭和五七年一月前記の無申告加算税、延滞税等を課税されたことで、原告の能力では経理事務・税務事務に対処できないことが表面化し、厚生省や県からも、外部の経理専門家と協議するように助言があったからである。しかし、右委嘱があったからといって、原告のなすべき日常の経理事務の仕事が格別減ったわけではないから、原告の仕事を奪ったことにはならない。

また、被告法人が、原告に対し、関係行政機関等との連絡調整事務を命じた事実はない。被告大島は、原告が自己の本来的業務を放り出し、勝手に出向いては放言をしたり、被告法人を中傷したりしていたので、それを見兼ねて同年一〇月頃、原告に対し、今後は県市などに出歩かず、経理課長本来の職務を遂行するよう叱責したものである。

4  請求の原因3の(三)の事実は否認する。

原告は、口ばかり達者で自己顕示欲が強く、協調性に欠け、自己を反省することがなく、よく部下を怒鳴ったり、その欠点を上げつらって嫌がらせをしたりして、部下の心を傷つけていた。原告の嫌がらせのため三、四名の職員が被告法人を辞めていった。また原告の仕事ぶりも、口程のことはなく、仕事の選り好みをするのにその仕事すらろくにせず、勤務時間中に私用のため長時間外出したり、用もないのに県庁や市役所に出掛けたりしていた。このような原告の性格と仕事ぶりから、原告は、自分の部下すら掌握することができず、被告法人の職員全員から嫌われていた。こうした人間関係を案じた村松総務部長が、職員と一緒に食事でもしてはどうかと助言しても、「敵と一緒に飯が食えるか。」と一蹴したり、女子職員からお茶を出されても「そんなものは飲めない。」と毒づいたりしていた。また、懇親会などは、被告法人が主催するものではなく、職員有志が行なったものであるが、原告は職員から毛嫌いされていたため、声をかけてもらえなかったのである。

5  請求原因3の(四)、(五)の事実は否認する。

6  請求原因4(賃金等請求)の(一)の事実のうち、賃金の支払方法は認め、その余は否認する。

原告の賃金は月給制ではなく、日給月給制のため、昭和五八年八月分は、無欠勤であれば月額二八万五六六四円となるところ、欠勤控除により一〇万六三五三円となったものである。以後全く就労しないまま解雇されたので、原告は賃金等の請求権を有しない。

7  請求原因4の(二)、(四)の事実は否認し、(三)の事実は認める。

三  抗弁

原告の解雇事由は、次のとおりである。

1  被告法人の就業規則には、次の定めがある。

第二六条 職員は、この規則に定めるものの他、業務上の指揮命令に従い、自己の業務に専念し、作業能率の向上に努めるとともに、たがいに努力して職場の秩序を維持しなければならない。

第三三条 職員が次の各号の一に該当するときは、次条の規定により制裁を行う。

一  重要な経歴をいつわり、その他不正手段によって就職したとき

二  本規則にしばしば違反するとき

三  素行不良にして会内の風紀、秩序を乱したとき

四  故意に業務の能率を阻害し、または業務の遂行を妨げたとき

六  正当な事由なくしばしば無断欠勤し、業務に不熱心なとき

一一 業務上の指揮命令に違反したとき

一三 前各号に準ずる程度の不都合な行為をしたとき

(五号、七ないし一〇号、一二号は省略)

第三四条 制裁は、情状により次の区分により行う。

一  訓戒 始末書をとり将来を戒める。

二  減給 一回の額が平均賃金の一日分の半額、総額が一か月の賃金総額の一〇分の一の範囲で行う。

三  出勤停止 七日以内の出勤を停止し、その期間中の賃金は支払わない。

四  懲戒解雇 予告期間を設けることなく即時解雇する。この場合において所轄労働基準監督署長の認定を受けたときは、予告手当(平均賃金の三〇日分)を支給しない。

2 原告は、昭和五八年六月二三日から解雇日に至る全期間無断欠勤した。但し、被告法人は、原告の利益のために、右期間のうち、同年六月二七日は原告が当時の被告法人の理事長中田光吉(以下「中田前理事長」という。)の呼出しに応じたため出勤扱いにし、同年七月一七日から同月二〇日までと同年八月八日から同月一〇日までの各三日間は原告の夏季休暇扱いにし、その他の同月七日までの所定労働日は原告の年次有給休暇扱いとしたので、同月一一日以降を純然たる無断欠勤として取り扱った。

原告の右行為は、就業規則三三条六号に該当する。

3 原告は、(一)特異な性格に基づく言動により被告法人の職場秩序を混乱させ、(二)予算決算作成など経理課長としてなすべき本来の業務の放棄し、(三)部下その他の職員との協調を求める上司の指示命令に違反し、(四)関係行政期間及び被告法人の職員に向けて被告法人の業務に不正があるなどといわれない非難中傷をし、(五)昭和五八年八月二二日には鉢巻きをし、大声でわめいて事務局長の面前に座り込もうとし、事務局長に対し、玄関前に天幕を設けて座り込む、多数のビラを貼り付けるなどと言って脅迫を加えるなどして被告法人の業務を妨害した。

原告の右行為は就業規則二六条に違反し、同規則三三条二ないし四号、六号、一一号、一三号に該当する。

四 原告は、被告法人に就職するにあたり、次のとおり学歴、経歴を詐称した。

(一)  原告は、高等学校卒業及び各種専門学校卒業の学歴しか有していないのに、高等専門学校卒業と申告した。

(二)  原告は、東京電機産業株式会社から日本電信電話公社電気通信研究所内精密加工研究室等に出向した旨全く虚偽の職歴を申告した。

(三)  原告は、「青色指導」、「国税局税務署管内青色学校終了」などと申告したが、右名称の青色学校は存在せず、相模原管内青色申告会、東京地方税理士会相模原部会、相模原税務署の三者で共催した青色学校の過程を終了したのみであり、しかも終了時に青色申告指導員には不適格であると判定されていた。

原告は、このような学歴、経歴の詐称により、本来の学歴、経歴では受けることのできない高額の給与を受けて被告法人に対して経済的な損害を与えたほか、経理係長の職を得ることにより被告法人の労働力の配置を誤らせ(経理係課長への昇格は機構改革に基づく自動的なもの)、結果として事務局内部に混乱を生じさせた。

原告の右行為は、就業規則三三条一号に該当する。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

2  抗弁2の事実のうち、原告が昭和五八年六月二三日以降同年八月二一日までと同年九月一三日以降は就労せず、同年八月二二日から同年九月一二日までは出勤してタイムカードを打刻し就労を求めただけで実質的には仕事をしていないことは認める。

原告の不就労の最大の原因は、被告大島の前記仕事の取上げ、村八分の工作により、就労することができないような職場環境が作り出されたためである。また、原告は、同年六月二七日、中田前理事長が被告法人として他の施設等へ被告法人に在職するのと同一の雇用条件で就職させること(原告はこれを転任割愛と称するので、本判決においても便宜この用語に従う。)を約束したので同年八月半ばころまではそれに期待して就労しなかったものであり、同月二二日以降は被告法人から就労を拒否されたたため就労することができなかったものであるから、原告の不就労は「正当な理由のない欠勤」とはいえない。さらに、被告法人が「無断欠勤」を理由に懲戒処分をすることができるのは正当な理由なく無届けで欠勤した場合であって、かつ日常の業務に支障をきたすおそれのあるときに限定されるので、原告の不就労はこれにあたらない。

3  抗弁3、4の各事実は否認する。

五  再抗弁(懲戒権の濫用もしくは信義則違反)

原告と被告法人は、昭和五八年九月八日神奈川県相模原労働センター(以下「労働センター」という。)による労使関係調整手続きを受けることを合意した。そして、同月二四日労働センターでの労働関係調整の場で、被告法人側は、労働センターの調停には応ずること、同年六月二七日中田前理事長が原告に約束した他の職場への転任割愛について法人として協力することを確認した。さらに原告側から、他施設への転任割愛が確定するまでの間、被告法人は原告が正常な就労ができるよう努力すること及び原告の職務内容を労働センターを経由して通知することを申し入れたの対しても、検討して回答することを約した。

当事者の交渉はその後も行なわれたが、同年一一月一八日労働センターでの話合いの場で、被告法人は、一方的に交渉を打ち切り、以後労働センターの職員立会いでの交渉に応じなくなった。

同年一二月八日、九日の両日労働センターの職員の立会いなく行われた話し合いで、被告法人は、原告に対し、法人の都合による退職の場合の退職金に近い額の退職金での原告の辞職案のみを回答し、それまで認めてきた被告法人の責任を否定するようになった。そこで、原告は、同月二三日に被告法人に到達した書面で、右条件は受諾できないこと、但し話合いによる解決を望んでいること、そのため労働センターを通じて新たな提案を行うこと、被告法人においては検討の上回答されたいことを申し入れた。これに対し、被告法人は、その翌日である同月二四日に原告あて無断欠勤等を理由とする本件懲戒解雇通知を発送したものである。

このように、本件解雇は、原告が、就労の意思があること、原告が出勤しても労務が受領される可能性はなく、したがって具体的な労務提供の義務が発生していないこと及び話合いによる解決を望んでいることを通告し、話合いに向けた努力を継続している最中に突然したものであるから、懲戒権を濫用し、もしくは信義則に反するものであって、無効である。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。

労働センターは本件事案の特殊性を考慮し、具体的解決条件を示した労使関係調整は行わず、両者の話合いの場を設定し、話合いが円滑に行われるための立会いをするという役割のみを行ったものである。

被告法人は、昭和五八年九月二四日転任割愛に法人が協力することは拒否し、従前の協力で既に誠意は尽くしており、これ以上この問題にかかわる余地はないと判断し、また職場の正常化や労働センターを経由して原告の職務内容を通知するようにとの申入れについても検討すると述べたに止まり、当日は両者の言い分が噛み合わないまま話合いが終了したものである。

労働センターの職員の立会いによる話合いが同年一一月一八日で打ち切られたのは、被告法人が好意的に自己都合による退職の場合の退職金の額を上回り、法人の都合による退職の場合の退職金の額に近い退職金を支払うことによる解決案を提示したところ、原告が、その提示額を大幅に上回る六一〇〇万円という法外な要求をし、これに応じなければビラを貼ったり、赤旗を立てたりすると脅したため、労働センターの職員の立会いによる交渉では解決することができないと判断したからである。

その後、同年一二月八日労働センターにおいて、現在の被告法人の理事長座間富蔵(以下「座間理事長」という。)と原告とが、労働センターの職員の立会いなく話合いを持ったが、原告は相変わらず従前の主張を繰り返し、同月九月の話合いも進展せず、わずか三〇分で物別れ終(ママ)わった。

被告法人は、長期にわたる原告の無断欠勤にも隠忍自重し、円満な解決のために努力をしたが、以上の経過により、もはや交渉による解決は不可能と判断し、同年一一月一九日、同月二二日、同月二五日の三回にわたって内容証明郵便で出勤を命令した。しかし、原告は、これに応じなかったばかりか、最後の内容証明郵便は受領すら拒否して返送してきた。

被告法人は、以上の慎重な手続を経て、ようやく同年一二月二四日本件解雇通知を発するに至ったものであり、これが懲戒権の濫用や信義側違反になるいわれはない。

第三証拠関係(略)

理由

一  請求の原因1(当事者)、2(解雇の意思表示)の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、まず、労働契約上の地位確認請求について判断する。

被告法人の就業規則に被告ら主張の定めがあること、原告が昭和五八年六月二三日以降同年八月二一日までと同年九月一三日以降就労せず、同年八月二二日から同年九月一二日までは出勤したが実質的には仕事をしていないことは当事者間に争いがない。

(証拠略)の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  四六〇〇万円の課税問題に対する原告の態度

被告法人は、その事業資金を得るため、相模福祉センターにおいて、結婚式場の提供等の事業を行っていたが、その事業について税の申告をしなかったところ、相模原税務署は、昭和五六年四月被告法人に対し、相模福祉センターの行うその事業が、昭和三三年六月一一日付及び昭和四一年四月二一日付各厚生事務次官通知で定められた範囲を越えており、これによって著しく利益剰余金を得ている疑いがあるとの理由で、税務調査を実施した。

公益法人等の収益事業に対しても課税されることについては、昭和五六年一一月二〇日付国税庁通達(昭和五六直法二―一六)により明確にされていた。

ところが、原告は、被告法人の営む結婚式場の提供の事業は、社会福祉法人としての被告法人本来の事業に含まれ、その事業の所得に対しては、法人税は課税されず、申告の必要もないとの見解を主張して、調査官と対立し、調査官の申告するようにとの勧告にも応じようとしなかった。

しかし、結局、同税務署から法人税、無申告加算税を課せられ、それに伴って県と市からも地方税、無申告加算税及び延滞税を課せられることになり、その税額は合計四六〇〇万円にも及んだ。このため被告法人は、経済的に困窮して組合の賃上げ要求にも応じられなくなり、組合は、無申告加算税や延滞税まで課税されることになった責任の追及を始めた。

原告は、同税務署との交渉当時、成り行きを見守っていた被告法人の職員に対して、自己の見解が正しく、腹を切っても主張を通すと言っていたのに、課税された後は、被告法人の営利追求体質が原因であるとして問題をすり替え、責任を回避するようなことを言い出したため、職員の怒りを買い、その信頼を失った。組合も原告を見限り、右税を課せられたことに対する原告の責任を問題にするに至った。

2  会計処理の部門別分離問題に対する原告の態度

社会福祉各法による措置費支弁対象施設等を経営する社会福祉法人の会計処理に関しては、厚生省社会局長及び厚生省児童家庭局長から都道府県知事、指定都市市長あての昭和五一年一月三一日付社施第二五号通知により経理規程準則が示され、右通知の対象とする社会福祉法人以外の社会福祉法人についても、社会局施設課長及び児童家庭局企画課長から都道府県及び指定都市の各民生主管部(局)長あての同日付社施第二五号の二通知により、右経理規程準則に従って会計事務処理が行われるよう指導がなされていた。

右課長通知においては、「法人における会計処理にあたっては、経営している施設数にかかわらず、準則に示す『本部会計』及び『施設会計』区分による会計単位の経理を行うこと」とされ、「法人において複数の施設を経営している場合、所属施設の会計はそれぞれの施設を会計の単位として経理すること」とされていた。

そして、被告法人は、昭和五四年一〇月に神奈川県民生部長から監査結果として、各年度における各会計ごとの財産の状況を明確にするため各会計区分ごとの貸借対照表を作成するよう指摘を受けていたので、昭和五七年一月ころ、従来一括して処理していた被告法人の会計事務を、本部、助葬事業、相模福祉センターの三つの部門に分けて処理することとした。

ところが、原告は、右経理規定準則は、措置費の支弁される社会福祉法人を対象にしたものであって、被告法人のように措置費の支弁されていない社会福祉法人を対象とするものではないと誤解し、さらに、被告法人は相模福祉センターの利益で他の事業所の経費を賄っているから、部門毎に作られた貸借対照表より全体を一括した貸借対照表の方が経営の実態を知るのに重要であるとか、当初の投下資本が一つであるのにこれを分離することはできないといった独自の理屈をつけて、部下の経理課員に対し、分離した会計処理をしてはならないと指示し、この点でも、三つの部門に分けて処理すべきであるとする被告法人の幹部や経理課員と対立した。

3  原告の業務内容の変化

被告大島は、原告が右主張を譲らなかったので、昭和五七年二月経理課員の安藤まり子、岡松和雄に対し、原告の指示には従わずに被告大島の指示に従って部門毎に分離した会計処理をするよう命じた。

また、被告法人は、昭和五七年一月に四六〇〇万円もの税を課税されることになったことや、厚生省や県から、税理士等の会計経理の専門家と協議して経理事務を行うよう助言を受けたことから、同年五月原告の反対を押し切って外部の税理士に決算事務の処理を委嘱した。

右委嘱によっても、税理士が決算や予算の原案を作成することはなかったので、原告の日常の経理事務の内容にはほとんど変化はないはずであったが、原告は、部下が原告に相談することなく、税理士に直接相談して経理事務を処理して行くことが可能となり、自分の存在理由が失われていくとの危機感を強くした。

以後、原告は、月次報告書の作成、歳入歳出の決議書、伝票の決裁などの日常的な業務のみ行なうようになったが、部下と対立していたため、部下からの資料の提出が遅れ、その月次報告も滞りがちになっていた。

原告は、同年六月四日には、被告大島に対し、部下が自分の言うことを聞かず、間違いを指摘しても改めないため経理の仕事に嫌気がさしたので、関係行政機関等との事務連絡業務に専念したいと申し出た。そのため、被告法人は、原告に対し、その後同年一〇月頃までその事務を行わせていた。

ところが、原告は、上司の了解を得ないことまで交渉を進めて事務局長の叱責を受けたり、関係行政機関等に対して被告法人に対する不満を述べたりしたため、被告大島は、その事務をするには不適格であると判断し、同月頃、原告に対し、「今後は、県、市等との連絡調整事務もやる必要はない。」と命じた。

原告は、その後再三、村松総務部長に対し、仕事が与えられていないとして業務命令を出すよう申し入れたが、同人は、原告が部下を指導監督し、掌握した上で、経理課長としての本来の経理業務に専念することが先決であると考え、何の措置もとらなかった。

昭和五七年一〇月一二日には、組合役員と被告大島との間で、原告と全職員との人間関係が悪化している問題について話合いが持たれ、同年一一月一六日には、組合が四六〇〇万円もの課税問題について原告の責任を追及し、昭和五八年二月九日には、組合から村松総務部長に対し、原告の行為によって職場の秩序が乱れ、職員に悪影響が出ているのに、被告法人が何もしていないとして、原告に対する指導を強めるよう申入れがなされた。

また、原告は、昭和五七年の決算事務についても、会計処理を部門別に行うとする被告法人の方針を納得することができないことや、人間関係のもつれから部下が決算の基礎となる資料を提出しないことを理由に、これをしなかった。右事務は、部下の岡松と安藤がこれを行った。

4  原告をめぐる職場内の人間関係

原告は、昭和五四年度予算案を作成した際に人件費の上昇分を見込んだことを理事から越権行為であるとして叱責されたことを根に持ち、それ以降は自ら予算作成には関与しないと言ってその仕事をしなくなった。経理課員は原告、岡松、安藤の三名であったから、原告が仕事をしなくなった分はすべて岡松、安藤両課員の負担となり、同課員ら職員の反感を買っていたところ、会計処理の部門別分離の問題や法人税等課税の問題における前記の原告の対応がさらに反感を買い、職員の原告に対する風当たりは一層強くなった。

そのうえ、原告は、自己の主張に固執する反面、自己弁明が多く、他罰的で、部下に対する思い遣りに欠け、言葉遣いも荒かった。

自ら他の職員と協調しようとする意思は乏しく、女子職員からお茶を出されても「そんなものは飲めない。」などと感情を逆なでするようなことを言ったり、部下が昼食の注文をしてやろうとしても、「敵と一緒に飯が食えるか。」と言って自ら挑発したりしていた。

自己の本来の仕事についても、部下が言うことを聞かないことを口実に手を抜き、用もないのに机を離れて外出したりしていた。

こうしたことがさらに職員の反感を買い、職員間の懇親会や慰労会にも声をかけてもらえないような職場内の雰囲気を作る結果になっていた。

5  原告の処遇をめぐる交渉の経緯と原告の不就労の開始

原告は、被告大島や村松総務部長に職場の正常化を要求したが、同人らから、まず原告自らが管理職として自己の部下を掌握し、自分の態度を改めて部下に接すようにすべきであるとたしなめられたため、職場内には自己の味方はいないと判断し、職場外の者に支援を頼むこととして、昭和五八年三月三一日に相模原市社会党総支部書記長橋本啓二から、同年四月一日に自治労神奈川県公企労副執行委員長下村宏からそれぞれ被告法人に対し、原告の要求を申し入れてもらった。

その結果、同月一五日被告大島が正常化へ努力することを約束し、同月二〇日村松総務部長から経理課員の岡松に対し、原告へ協力するよう指示がなされたが、原告が仕事をしなくなってから実質的に経理事務を行っていた岡松の反発を買い、結局は従前通り岡松が主体となって経理業務を行うことになった。

こうして、原告は、経理課長の仕事が次々と失われ、部下に離反され、上司との対立も深刻になり、他の職員からも完全に孤立するに至り、同年六月二三日から欠勤した。

同月二七日原告の処遇について、原告と、中田前理事長、被告大島、村松総務部長とが話合いを持ち、原告と被告法人との間で、被告法人は原告の他の施設への転任割愛のため協力することを合意をした。

しかし、その際、原告は、自宅待命を認めて欲しいと申し出たが、中田前理事長は、原告自身が先ずもって勤務についての考え方を改めるよう努力する必要があること、職場放棄、自宅待機は認めないことを告げて原告の申出を拒絶した。

中田前理事長は同年六月三〇日辞任し、後任に座間理事長が就職した。

被告法人は、原告に対し、同日付書面で、年次有給休暇の残日数が二五日間であること、残日数がなくなった場合は欠勤となること及び原告が要望していた他施設への就職の希望を神奈川県社会課へ取り次いだことを通知し、また同年七月六日、七日の両日に行なわれる県の監査へ出席することと年次有給休暇の手続をとることを命じ、また同年七月三〇書面付で、年次有給休暇の残日数が五日間であることを通知し、県の指導監査に出席した理由を報告することと年次有給休暇の手続をとることを命じたが、原告は、右命令に応じなかった。

同年八月二日座間理事長は原告に対し、「就職先を理事長自身が責任をもって紹介する。」「私が保証人になってもよい。」と言って、そのころ、原告に数か所の就職先を紹介したが、原告は通勤時間がかかりすぎるなどと言っていずれをも断った。また転任割愛は、実現の非常に困難な事柄であるため、その話は一向に進展しなかった。

原告は、不就労による不利益を避けるため、同月二二日再度出勤した。しかし、被告法人の同月一日付組織改正により、同日付で経理課長の職を解かれ、「事務局付」を命じられていて、原告の机、事務用品も従来の場所から役員室に移動されていたため、役員室で待機していたが、具体的な仕事は与えられなかった。

そこで、原告は、同日具体的仕事がない以上、被告法人が原告の労務の受領を拒否しているものであり、出勤しなくても賃金請求権は発生すると主張して、以後の欠勤を「特別休暇」として取り扱うよう請求したが、これに対して被告法人は同年九月一日付書面で、この請求を認めず欠勤として取り扱うことを通告した。

原告は、同年八月二三日以後も、役員室での待機を予想していたため、朝タイムカードを打刻した後、事務所に入ることなく終日外出して労務の提供をしなかった。このため、被告法人は、後日の賃金請求権をめぐる争いを防止するため、同年九月一二日原告に対し、就労意思を態度に示すまでタイムカードを事務局に保管すると通告したところ、原告は、翌一三日から欠勤した。

6  昭和五八年九月一三日以降の不就労と交渉経過

原告は、このままでは紛争の解決は不可能と考え、第三者を通じて紛争の解決を図ろうとして、労働センターに相談し、さらに同年九月七日外部の他の労働組合員を中心とした「鈴木方十を守る会」(以下「守る会」という。)の支援を受けることとし、同会から被告法人に対し、原告の身分を保障するように記載した申入れ書を提出してもらった。

これを受けて労働センターによる労使関係調整手続が開始され、同月二四日に開催された労使関係調整の場で、被告法人側から、かつて中田前理事長が転任割愛について法人として協力すると言った事実はあること、今後もそれに協力することが確認されたので、原告は、他施設への転任割愛が確定するまでの間、被告法人は原告が正常に就労できるように努力し、原告の職務内容を労働センターを通じて原告本人に通知するようにしてもらいたいと申し入れたが、被告法人側は検討すると答えるに止めた。

被告法人は、それまでの原告の態度からみて話合いによる解決は困難であると判断し、同日以降出勤を促す「通知書」等の書面を直接原告あてに発送し始めた。

労働センターは、その後も被告法人に対し、同年一〇月八日、同月一一日、同月一二日、同月一三日に話合いによる解決を働きかけ、原告には働く意思があるが、法人都合の退職の場合の退職金の額に上積みする解決案の余地もあることを伝えた。

同年一一月一一日労働センター職員立会いの話合いのもとに、原告と被告法人との間で、金銭解決の方向での話合いが行われ、被告法人から、法人都合による退職の場合の退職金の額は約三〇〇万円であるとして、それに近い退職金の額が提示された。しかし、原告は、支援者と相談して、右呈示(ママ)額を大幅に超える六一〇〇万円の支払を要求した。このため、被告法人は、労働センターの職員の立会い方式での交渉による解決は到底不可能であると判断して交渉を打ち切り、以後労働センターの職員の立会いでの交渉に応じなくなった。

その後も原告は、被告法人に対し、同日二一日付書面で話合いの継続を申し入れ、同月二九日付書面で原告には就労の意思はあるが、従前の経過に徴すると、原告が出勤しても労務が受領される可能性はないので、具体的な労務提供の義務は発生していないと通告した。

被告法人は、この間、同月一九日、同月二二日、同月二五日の三回にわたって内容証明郵便により出勤を命じたが、原告は、これに応じなかったばかりか最後の内容証明郵便は受領を拒否して被告法人に返送した。

同年一二月八日、九日の両日労働センターにおいて、労働センターの職員の立会いなく座間理事長と原告との話合いがなされ、その席上、座間理事長は法人の都合による退職の場合の退職金の額に近い退職金で辞めてもらいたいという従前の提案をした。

これに対し、原告は、同月二三日に到達した書面で、被告法人に対し、右条件は受諾できないこと、但し話合いによる解決を望んでいること、そのため労働センターを通じて新たな提案を行うこと、被告法人においては検討の上回答されたいことを申し出たが、被告法人は、これには答えず、同月二四日に無断欠勤等を理由とする懲戒解雇通知を原告宛に発送し、右通知は同月二九日原告に到達した。

なお、被告法人は、この間の同年六月二七日は中田前理事長が原告を呼び出して勤務態度を改善するよう説得した日であるため出勤扱いとし、同年七月一七日から同月二〇日までと同年八月八日から同月一〇日までは原告の夏季休暇扱いとし、その他の同月七日までの所定労働日は年次有給休暇扱いとしたため、同月一一日以降を純然たる無断欠勤扱いとしたものである。

以上の事実が認められ、前記各証拠中右認定に反する部分は採用することができない。

右認定の事実によれば、原告は、昭和五四年に人件費の上昇分を見込んだ予算案を作成して理事から叱責を受けたことを根に持ち、以後予算編成には関与しないと言って経理課長としての仕事を自ら放棄し、さらに、会計処理の部門別分離問題に見られるように自己の意見に固執して、上司や他の職員と対立的関係を深めたのみならず、上司の指示に従わないことにより自らに仕事を任せられないように仕向けて、自らの仕事を減らしてきたものとみるべきであり、職場の人間関係の問題も、被告大島が殊更に工作して原告を孤立させたとみるよりは、原告自身が招いた孤立とみるのが相当である。

したがって、被告大島が組合活動をする原告を敵視して、仕事を取り上げ、村八分にして原告が就労することができない事態を作り出した旨の原告の主張は、理由がない。

また、前認定のとおり、被告法人は、原告の転任割愛に協力する旨約したが、原告の自宅待機は認めていないのであるから、原告が被告法人において転任割愛先を探すのに期待して就労しなかったということが、不就労を正当化するものでないことも明らかである。

原告は同年八月二二日出勤したときには既に事務局付勤務となっていて具体的な職務は与えられず、一日中来るあてのない仕事を待つことになったが、長期間にわたって理由のない不就労が続けた原告を当面具体的担務のない事務局付にすることにはそれなりの合理性があり、これをもって被告法人が労務の受領を拒絶したということはできない。

さらに、原告は、無断欠勤を理由に懲戒処分をすることができるのは、欠勤により日常の業務に支障を来すおそれのあるときに限られるべきであると主張するが、そのように限定して解すべきいわれはない。

原告の不就労は被告法人の就業規則三三条六号に該当するというべきであり、また、前記認定のとおり、原告は、被告法人の就労命令にも背いているのであるから同規則三三条一一号にも該当するというべきである。

原告は、原告らが話合いに向けた努力を継続している最中に、被告法人が無断欠勤等を理由に突然このような懲戒解雇をしたことは、懲戒権限を濫用し、もしくは信義則に反するものであって、その解雇は無効であると主張する。

前認定のとおり、本件解雇の通知が、原告が労働センターを通じて新たな提案を行うとの通知をした直後になされたことは原告の主張のとおりであるが、しかしながら、そうであるからといって原告の就労義務が免除され、原告の欠勤が正当化されるものではない。被告法人は、解雇に至るまで再三出勤を命じ、解雇直前も同年一一月一九日、同月二二日、同月二五日の三回にわたって内容証明郵便で原告に出勤を命じたにもかかわらず、出勤しなかったため、解雇するに至ったものであり、しかも、当時、両者間の交渉は打ち切られ、合意が成立する見込みはなかったのであるから、このような事情のもとでした解雇は、懲戒権の濫用にも信義則違反にもあたらない。

被告法人が就業規則三四条の制裁のうち懲戒解雇を選択したのも原告の不就労の程度に照らし相当と認められるから、被告法人のなした解雇は有効であるというべきである。

解雇の無効を前提とする労働契約上の地位確認請求は、理由がない。

三  損害賠償請求について判断する。

前記のとおり、被告大島が、原告に敵意を抱くなどして、殊更に原告の仕事を取り上げ、原告を職場内で孤立させることを工作したとは認められないのであるから、被告大島が右行為をしたことを前提とする損害賠償請求は、その余の争点について判断するまでもなく、理由がない。

四  賃金等請求について判断する。

前記のとおり、原告の昭和五八年八月から解雇時までの不就労が被告法人の責に帰すべき事由によるとは認められないから、その間の分の賃金等請求は、その余の争点について判断するまでもなく、理由がない。解雇後の分の賃金請求が理由のないことはいうまでもない。

五  以上の次第で、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林亘 裁判官 山本博 裁判官 吉村真幸)

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